新年。と、匿名社会への意見。

新年あけましておめでとうございます。
現在このブログには思っていることをそのまんま綴っていくことをモットーにして、好き勝手な投稿を続けています。
し、今後も不定期ながらも気が乗った時に続けていきます。

正直、訪問者様に役立つ内容が書けているのかというと、特にそういうこともないかと思います。

ただ、確率は限りなく低いこととは思いますが、誰かの興味を引くことが出来たのなら嬉しく思いますし、ありがたいことです。

今ってSNSが盛んなので、ツイッターやインスタグラム、フェイスブックなどなどで個人が情報発信できる場がたくさんあります。YouTubeとかもそうだし。

そもそもSNSをやるやらないも自由だし、閲覧のするしないもまた自由。
表現の自由でもあるから投稿内容だって、常識の範囲であれば制限なんてありません。

制限されたのであれば、それは投稿者のさじ加減と世間(というかSNS運営元)のさじ加減がちょっとズレただけの話で。
そういう場合は改善すればいいだけの話。

匿名でも参加できるSNSだからといって、誰かを傷つけていい理由にはならないし、攻撃的な発言をする人が強くなったわけでも偉くなったわけでもない。
だけど匿名という形になると、とかく人は気が大きくなり、バレやしないからと思って残酷になったりもする。

車の運転でいうあおり運転みたいな煽り行為。こうした気が大きくなって周りに危害を加えてしまうまでの行動をとってしまうのは、なんなんでしょうね。

等身大のその人は、別になにも変っちゃいません。

あと、もはや完全な匿名ってのもありません。
追いかけようと思えば発信者の特定はできる世の中です。
殺人予告とかを某掲示板にして捕まる人のニュースだって、見かけるでしょう?

暴言吐く人なんてたくさんいる。もっと酷いことやってる人だっている。
だからなんだっていうんでしょう?
やらかしている人の絶対数の多い少ないは、発信者の罪を軽減するものじゃないでしょ。

赤信号をみんなで渡れば怖くない、じゃないんです。赤信号を渡ったという事実が問題なんです。みんなとかの数字は関係ない。

思うに、人を攻撃する人は、想像力が乏しいのかネジが外れてるのかの二択なのではと。

想像力が乏しいから、攻撃された相手の痛みが分からない。自分が相手の立場だったらというシミュレーションが出来ない。だから、どれほど追い詰めているのかも理解できない。
そこには、個人の耐久力がそれぞれ異なるという事情だって絡んでくるというのに。
自分が同じ立場だったら耐えられる、とかじゃない。あんたと相手はあくまで違う人間で、耐久性だって違う。
こういう想像力を養うのが、いわゆる「道徳」ってやつの教育内容だったんじゃないのかなと。
義務教育の期間に設けられていて、身につく子と身につかない子がいるのはそれはそれで個人差だろうけど、読み書きそろばんとかよりも大事な教育だろうよと思う。

また、ネジが外れている人。これは、正直どうしようもない。
言葉は悪いけれど、もう動物に近いんじゃないかと思う。
想像力の欠如は根気よく話ができれば埋めていける問題かもしれない。
でも外れたネジは、外れちゃってたら打つ手が見出せない。
緩んでいるくらいなら締め直せばいいけれど、外れてるんだから。

ニュースで見かけるどうしようもない犯人・容疑者は、こちらのネジ抜けタイプに思える。
人の見た目ではあるけれど、会話は一見成立しているようには見えていても、思考の共有なんてものはできてない。
外れたネジっていうのは、「共有」の部分なのかも。
異常な事件の犯人って、自分のことしか言わないから。

…おっといけない、盛大に脱線しました。
新年の豊富を語ろうとして、なんで匿名性における人の暴力化とかを書き殴っているんだ。。

えー今年、2020年。東京オリンピック開催。
マラソンは札幌。
「東京」でいいんかこれ?と思わなくはないですが、(千葉県浦安市なのに東京)ディズニーランドみたいなもんだと思うことにして、開催される夏が楽しみです。
暑いし人がすごいだろうからテレビで観てそうですが。

2019年の1年間もあっという間だったので今年1年も早いんだろうなと覚悟しつつ、少しはスキルアップしたいなと思う所存です。

仕事のスキルとかではなく、なんだろう、生活とか人生充実のためのスキルみたいなのを。

それでは、今年も思いついたらよく分からない長文を入れ込んでくる謎ブログになるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

こんな心の整理メモみたいなブログを訪れてくれた人には感謝しかございません。
長文を読んでいただきまして、ありがとうございました。

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